______ 下正雄氏からの手紙に思う ______

「命がけで紙芝居師を貫いてきた人」としては、この人を措(お)いて他に
いない、という人が居る。
 
 森下正雄氏である。      
(*脚注
 
 
ご存知でない方のため紹介すると、森下正雄さんは、下町で
90年代まで紙芝居師として活躍していた。ご一家が貸し元を営んで
いたので、扱う作品はもっぱら昔ながらの街頭紙芝居ものである。
 『黄金バットといえば森下正雄、森下正雄といえば黄金バット』と
いう評判がつく程の名人であった。 
 それがあるとき咽頭ガンに冒され、声帯の切除を余儀なくされた。
それが、あるファンが贈った録音テープのおかげで"テープに合わせ
て実演する"というスタイルで復活した、というエピソードの持ち主である。



 実はこの人のことは数年前に知っていた。声帯切除前の記録
映画も観たし、なによりご本人の実演を観た。2年前のことだが、
そのときは失礼ながら何とも思わなかった。
 その頃は、箕面で「紙芝居観が変わった」直後だったことでもあり、
 "「抜き」の技術がとくに巧みなわけじゃなし"などと感じて、"ちぇっ"
ってなもんだった。

 ただ、かつて全国から引く手あまただったという話や 、昭和の
紙芝居最盛期に大規模なコンテストで優勝の経験があるといった
ことだけは知っていたので、とにかく「すごい人だ」というんで、
サインを貰ったり、写真を撮って貰ったりした。

 それから間もなく、森下さんから封書が来た。
あの時の写真に、直筆の手紙が添えられていた。
 「観客一人一人を大切にする人なんだなあ」と思った 。
下町で3世代にもわたるファンを獲得した人物はさすが違う、と。

 ・・・しかしその程度の感想をもったに過ぎなかった。
(私自身がまだ"冷やかし"程度の存在にすぎなかったという訳だが)

        −−−・−−− 
 H17年11月、森下さんの紙芝居を再び観る機会が訪れた。
ある学生チームの取材に応じるためだった。
 ほとんど期待はしていなかった。取材が済んだらとっとと帰ろう位に
思っていた。

 ・・・ところが、である。
 
 なぜか以前とは全く違う実演のように見えた。心を動かされるのだ。
前回も今回も"テープに合わせて"というスタイルは同じだったのだが。
 
 変わっていたのは、どうやら私自身だったようだ。
 イベントやとくに公園などで場数を踏むようになり、 実戦で揉まれる
経験が増えたし、必要に迫られて大道芸や話芸の方向も探求をしだした
丁度ここ数年に、私の紙芝居の見方はずいぶんと変わって来ていた様だ。

 さすが、と感嘆したのである。

 なにはともあれ、森下さん宛てに今の熱意を込めてしたためた手紙を
手渡した。

 ・・・さて、
 森下正雄さんから、さっそくにご返信があった。(もったいないことだ)
普通、人さまの手紙を公開などするべきではない。
 しかし、この方の手紙に限っては、志を同じくする方々と共有しないことは
むしろ罪悪でさえあるかも知れないと思った次第だ。

 私だけではもったいないので、そっくり書き写させて頂 く。(文字もすべて
そのまま)正直、写していて途中、目頭が熱くなるものがあった。
 
 絶望の淵にまでも立たされた先生が、満身創痍でも なお子供達に希望を!
夢を!と、心を注ぎだし続けてこられたという事実には、情熱という以上の、
なにかすさまじ い、壮烈なものを感じざるを得ない。
 終戦直後の絶望の時期に、「せめて子供達には夢を!」と紙芝居師の道を
一心不乱に精進して来られた真の勇者!
・・・その高い志は病をもってしても遮(さえぎ)ることは不可能だった。

 これまで、先生についての認識といえば、
「かつて全国を巡っていた」
「昭和の紙芝居最盛期にコンク ールで優勝しておられる」
「寄席などでも活躍しておられた」
といった、声を失う前の、いわば「過去の栄光」のことだけだった
そんなことで森下さんをおこがましくも"評価"などしていた自分が恥ずかしい。
ご本人は過去の栄光 など かなぐり捨てて、今日という日を疾走していると
いうのに!

 思いを改めさせられる手紙でもあります。さすがです。 忠告文の体裁を
とらずに多くの忠告を与えて下さっている。

 人を感動させる力というのは、私にとってあこがれであり、なにがなんでも
会得したいものだと思っている。
 感動するとき、人は心も解き放たれるし、深い自省もするし、なにより勇気
が湧いてくる。生きる力に満ちあふれる。
 感動するとき、いろんな人間のしがらみやらなんやらを 「なんとちっぽけな
ことか!」と気付かされることになる。
 ・・・人を感動させる道に踏み入れたとは、なんと光栄なことか!

とにかく、森下先生は、ご自分の人生までも用いて、人を感動させておられる。
これ以上の大先達が他にあろうか!

私など到底及びもつかないが、それでもなんとか精進して、誰かを感動させる
ような者となりたいと切に希わずには居れない。



*注:森下正雄氏にはお弟子さんがおられます。ユーダイは弟子その他関係者ではなく、
直にご指導頂いた経験もありません。私ユーダイは、「古典は尊重する」にとどめるという
立場です。)若干、方向性が違っています・・・。しかし、森下氏の人格に触れた体験を
掲載せずにはいられない、そういうことです。

===森下正雄氏からの手紙===
拝復
 加藤雄大君の有難いお手紙を読んで大変嬉しく感動致しました。
 声を失って一時は紙芝居はもう出来ないとあきらめて暗い人生を
毎日の様に過ごしていかなければならないと思った時、夢も希望も
生涯も消へてしまうところでしたが、一ファンの方より声の出ていた
地方巡回子供劇場の出演の録音されたカセットテープを無記名にて
「子供さん達に黄金バット其の他の紙芝居を口を動かして見せて
あげて下さい」と郵送して頂いたお陰で、生涯現役として強く明るく
楽しく元気よく 笑顔と感謝で有難うの心で続けてます。

加藤雄大君の熱意と意気込みに心から感動して今後ご協力出来る
様に致しますれば
あわてず、あせらず、あきらめず、気楽くに 街頭
紙芝居の傳統と使命を受け続いで、子供さん達の夢と希望と想い出が
大人に成っても残る様に くりかへ しくりかへしの努力をして下さい。


現在街頭紙芝居をするおじさんは皆無と成りイベントの依頼の有った
時に出演して居ります。
逆に素人の方に依る手造り紙芝居が今や全国的に盛に成って紙芝居
全国まつりや 亦、全国コンクールが毎年開かれています。
 日本の紙芝居が海外でも とり上げられている程です。
先づはとりいそぎお礼旁々 ご返事迄          敬具
   
 紙芝居児童文化保存会  森下正雄
 加藤雄大君お身ご自愛下さいまたお目にかかれる日を 平成17年11月25日
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森下正雄さんの略歴


1950年 街頭紙芝居師として営業を開始。
名作「黄金バット」の名実演者として知られている。
数年前に喉頭がんの手術をして、現在、発声のリハビリ中。

紙芝居児童文化保存会会長。

実演】2006年も下町風俗資料館にて現役で実演しておられます!
(第1,3日曜日)
資料
江戸東京博物館「映像ライブラリー」にドキュメント映像あり!
記録映画「紙芝居やさん(平成元年撮影)
(受付で「紙芝居屋」と言えば、出してくれます)

ドコモ電子図書館における実演タイトル(WEB上で無料閲覧できる)
(台東区立下町風俗資料館にて撮影)
Part-2 ・「黄金バット 怪ダンク出現」 ・「怪傑こがね丸」 ・「手を振る子」

Part-3 ・「黄金バット 怪獣編

その他資料
@映像ドキュメント作品「人生 紙芝居」(2003)

「たけしのアンビリーバボー」1998年2/21放送分のアーカイブページ
蘇った黄金バット〜最後の紙芝居師に起きた奇跡〜

書籍】「紙芝居昭和史」(加太こうじ・著)にも登場しています。

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脚注】阪本一房(紙芝居師)氏、小森時次郎氏、その他、その他、各地におられる、人生のすべてを紙芝居に賭した人々のことを見逃している訳ではありません。実演家として、魂だけでなく身体をも紙芝居のために文字通り捧げているという意味で、この人の右に出る人などいない、少なくとも私はその様な人を知らないし聞いたこともありません。(実演家のまさに命といえる"声"にぶち当たっても尚、その情熱は絶えることがなく、現役!)【戻る

【脚注その2】 私は森下さんの実演の技の素晴らしさ、年季、といったことを心から実感している者です。
また、森下さんの温かなご性格にも触れ、感動したことがあります。
ですが、このような記事を書くと、「では弟子なのか?指導を受けているのか?」という誤解をなさる方が
おられるかもしれません。

ファンの一人です。弟子やスタッフではありません。直接の関係者ではありません。

当HPをご覧の皆さんならご存知の通り、私は(年に一回ではありますが)大阪箕面市のSさんの指導を受けている者です。

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