【その2】 既成の紙芝居、とくに市販の印刷紙芝居は、 よほど洗練された作品というのでもない限り、演者によって再構築され得る。 例えば ・ナレーションや説明的な言葉(削られる)、 ・台詞そのもの(殆どが演者の言葉に置き換えられる)、 ・絵の順番などは、 演者中心、演者本位で書き換えられるのが普通であるようだ。 |
これが、いわゆる関東の主流 (*1)→ 教育(印刷)紙芝居が主張する手法と違う点であると思う。
このような手法を用いて作品そのものがよくよく吟味された結果、原作のもつ要素で生き残るものはといえば、
最終的には
「物語の作者が一番伝えたかった事、感動的なシーン」、
「登場人物(動物も含む)」、「絵」、の3つだけということになる。
言い換えれば、
『絵芝居』で用いられる作品は、作品のエッセンスだけ
が残っている状態が理想だということになるのだろう。
箕面で私が目撃したものは、演者の感性によって
新たに作られた別個の作品だと言える気がする。
(2002年9月7日 記)
訂正理由:
(*1):('03年8月20日訂正):
関東でも、かつての街頭紙芝居では、
演者による自由な再構築が当然のように
行われていたらしい。
(当時を知らないので伝聞や想像だけだが)
要するに、上記3つのような手法は
街頭紙芝居の手法であったと言える。
→参考資料:都立多摩図書館のページ
■文責■加藤(私個人の感想として述べています。)
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