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日刊ユーダイ 2007/01/01〜 /
目次 - 2007その1



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なぜ毎週末、紙芝居紙芝居紙芝居と駆けずり回っているのか?
なぜ街頭紙芝居収集に50万円以上も費やしてるのか?
なぜ"ユーダイ座専用口座"なんてのを開設するのか?

紙芝居が好きなんだ!
紙芝居が好きで好きで好きでたまらないんだ!
紙芝居バカなんだよ!
だからさあ、紙芝居をバカにするやつが許せないんだ!
紙芝居を好きになって欲しいんだよ!

小学生だけじゃない、老人だけじゃない。青年にも壮年にも紙芝居はほんとは
充分に通じるものなんだと言うことを!今一度東京で証明したいんだ!!
関西では生き証しが数人いる。俺はなんとかして、喰らいついてでも、紙芝居そのものの魅力をこの地で体現したいんだ!!!!

見知らぬ子とでも、紙芝居だったら語り合える。
自分が賭けてきたことを、紙芝居だったら示すことができる。
弱さも誇りも、紙芝居だったら正直に出すことができる。

今年こそ、紙芝居そのものをやりつくせますように!!
..2007/01/01 ()

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そうか!そうか!そうか!わかったぞ!ヒントくれたヤツ、ありがとよ!
人によろこばれる紙芝居なんてやらなくていいんだ!
俺の場合、"媚び"てしまうことが多いんだ。
つくりものでない、ニセモノでない、俺そのものの表出が出来ればいいんだ紙芝居で!
..2007/01/01 ()

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ちょいとこぼれ話。1歳半健診をしたばかりの姪っ子に、夕方、紙芝居を打ってやった。「ニャーオン」。・・・食い入るように見つめる、真剣な表情。
終わったあとも、姪っ子、しきりに「(オツキサン)コワレチャッタノ」「ネコ、トッテトッテシタノ」。で、ママ(妹)が「そうね、お月さん、壊れちゃったのよね。でもまあるいお月さまに戻って、よかったね。」・・・姪っ子なりに余韻をかみしめている様子。

ママが抱っこして、お外へ。
「ほらっ。まんまるお月様よ。」
姪はなおも「コワレチャッタ」「コワレチャッタ」
「うん。でも、ちゃあんとお空に戻って、よかったね!」
「トッテトッテ・・・」

・・・ほのぼのとした赤ちゃんの時間が流れているのでありました。

_ _ _ _ _ _ _ _
わりとテレビに目を奪われやすい(当たり前だ)姪っ子の興味も、すぐに紙芝居のほうに入って来た。不特定多数に向かって垂れ流されるテレビ番組よりも、
「自分に向かって」(観客ひとりひとりに向かって)自分のために語ってくれていることの実感のほうが勝った。紙芝居に軍配が上がった!
..2007/01/31(Wed.)

原点回帰(セルフコピー) by ユーダイ TOPへ
...2007/ 2/27(Tue.)

重要なんのためにやっているのか

いずれTVも新聞も来なくなるだろう。でもこの活動で得た人の「輪」はいつまでも残るだろう。
地元三世代の心をとらえた森下正雄さんのように、私も子ども達一人一人、観客、依頼者、
訪問者の一人一人とのふれあいを大切にしていきたい。

それには「バタバタしてまして・・・」という言い訳をしないようにする必要がある。
それはただでさえ見苦しいのだ。
一日に2箇所でやったり、2日連続でやったりすることよりも、はるかに大切なことがある。
それは一人一人に向き合う時間をいかにたっぷり持ったか、である。

『地域(地元)を元気付けたい』
『紙芝居の魅力と感動を共有したい』
『子どもの文化に影響し、原風景として溶け込んでいきたい』
・・・"3つの願い"だが、このどれをみても、やはり「時間とまごころ」なのだ。

地域に"密着"、感動を"共有"、"じっくりと"影響"(三世代にまでも!)するという、
どれも「じっくり煮込む」ことをして始めて成り立つことだろう。

あちこち遠出するのも悪くはない。元気付けたい対象(町)を開拓するためには、たまに
遠出もしたらいいだろう。
紙芝居から紙芝居へと東奔西走するのも間違ってはいない。一人でも多くの子ども達に
紙芝居の魅力を紹介するためなら
、駆け回ることも惜しむまい。

しかし、この目的願いを外れてしまったとき、活動自体に摩擦が生じるのではないか。
もっと非常に単純な願いを述べるならば、私は紙芝居を通して人と出会いたい。紙芝居
を通して子どもと出会いたい。とくに子どもの笑顔に出会いたい。
これは私の原動力
でもある。(もちろん「紙芝居を深めたい」が一番なのだが)

優先順位を逸してはまずい。関係作りが最優先である。場数を踏んで紙芝居を高めるのは
その次の優先である。しかし、あちこち遠出したり 活動のために休日を削ったり、なんたら
かんたら・・・というのは二の次三の次だ。
(..2006/ 8/11の記事)

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8/29 いけばな龍生派・副家元さんとの対談(取材)での収穫の一つ...

[1]ふれあいを楽しめる児童文化としての街頭紙芝居の魅力と力を現代に活かしたい!発揮したい!特に公園のようにお膳立ての全くない状況・子どもにとって一番自由な状況で。・・・「3つの願い」の2つめは、これだということを再認識した。

決して、「往年の街頭紙芝居の再現」というようなレトロ・懐古路線ではない。
(それをやっている人のことも肯定はするが)

[2]感動で涙を流すような実演をしたい!また、悲劇作品も扱いたい。そんな願いも持った。

..2007/ 9/ 4(Tue.)

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往年(昭和30年代)の紙芝居の流行は一過性のものであり、衰退も同様の現象にすぎない。それを『街頭紙芝居の衰退』と言い切ってしまうことには疑問を感じる。

また衰退の理由として「テレビの普及」に押された、という説が横行しているが、これもどうなのだろうか?

私に言わせれば、研究者はむしろ『外(路上や空き地や公園)遊びの衰退との関連』を調査・分析するべきであろう。

都会でも路上遊びの習慣や 町の子どもたちの異年齢交流がまだ残っていた 昭和40年代半ば頃までは、まだ紙芝居屋が商いとして成立していたし、児童文化として生き残っていた。
しかし、いわゆる「町から子どもが姿を消した」と言われる1980年代には、紙芝居屋もすっかり廃れてしまった(昭和55年以降)。

戸外遊び・路上遊びが廃れたので街頭紙芝居が廃れたのか、それともその逆なのか。いずれにしても両者に相関関係があるように思えてならない。戸外遊びの文化・児童文化と街頭紙芝居は密接にリンクしていた。
それは今でも変わらぬ事実である。

街頭紙芝居(古典/旧派)は終わってなどいない。それどころか、これからなのである。
子どもの生活から切り離され、 教育紙芝居にとって代わられたような時期を経たものの、街頭紙芝居はまだまだ洗練され続けるべきであり、 向上していくべきであり、時代や時代のニーズにマッチしていくべきなのである。
..2007/10/19 (Fri.)ユーダイ加藤 記

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